ののの想ひ出【青の向こうに。】

思い出さずにいられなかった。

彼の笑顔が、あの出来事を
こんなにもリアルに思い出させた。










12年前 私は、男達の涙を見た。

青く光る空の下で、青い旗は散った。



1999年、元日。場所は国立競技場。

私は高熱の身体を引きずって、ゴール裏に立っていた。

横浜フリューゲルス最期の試合、天皇杯決勝。

横浜マリノスへの吸収合併が決まり、負ければその時点で解散という過酷な状況下で、チームは決勝まで上り詰めた。

冬空の下、満員の観客が、手をあげ、声が枯れるまで叫んだ。

そこにいる観客がひとつになった。

かつてない数の青い旗が、全力で羽ばたいていた。

選手の背中と、白いボール

他に何も見えなかった。

後悔したくなくて、ただただ叫んだ。

これで本当にもう終わりなんだと、自分に言い聞かせながら。





最期の瞬間、視界全体が青く染まった。

逆転優勝。

悲鳴のような歓声で、地面が揺れた。

あとは涙でよく見えなかった。



負ければ解散と突然に言い渡されスタジアムの外でも戦いながら、全員で試合を勝ち抜いて、

その先にあるのは・・・。

どこにもぶつけられない怒りが込み上げて、泣く事しかできなかった。




青い戦士達は、最期の勝利を遺して、たくさんの人々の涙と共に散っていった。

彼らは合併発表後、リーグ戦・カップ戦を通じて一度も負けることはなかった。

マスコミは こぞってこの悲劇を、
美しく可笑しく書き立てた。

私は必死で心の中に、ありがとう という言葉を置いて、蓋をした。



あの勇敢な戦士達の中に、私にゴール裏という場所をくれた人がいた。

私達サポーターの一番近くで、いつも大きな両手を広げ、ゴールを守っていたあの選手だった。

その背中がくれたものは、不思議なくらいの安心感だった。

だから、彼の後ろで声を出していたいと、夢中でゴール裏へ通い詰めた。

あの悲劇までは。




あれから12年。

今日彼は、違う色のゴールを守っていた。



楢崎正剛 34歳。

フリューゲルス解散後、すぐに名古屋に移り、過去の無念を見せない戦いを見せてくれた。

同時にあの悲劇を忘れずに、密かに「前所属 横浜フリューゲルス」の経歴を守ると言ってくれた。

ライバルだった横浜マリノスの川口と共に日の丸を任され、長年比べられて来た。

今年楢崎は、若い川島にその座を渡し、チームに専念したいと、代表引退を宣言した。



冷静沈着、強靭な精神力を持つと言われ、いつもギラギラと前を睨むあの瞳の裏で

彼は本当はどんな想いで、この長い12年を過ごして来たのか。



そんな想いがよぎり、テレビの中の彼を見る目を細めた。

蓋をした心が 軋んだ。

スポーツ選手の運命なんて、こんなものだ。

不快な感情を、いつもの偏頭痛のせいにした。






歓声が上がった。


名古屋 悲願の初優勝。


今日彼は、全く違う土地で
プロ入り後初めてのリーグ優勝を手にしたのだ。


見たことのない表情をしていた。


冷静と呼ばれる彼が、涙を潤ませた。


そこにいたのは、12年前の彼ではなかった。





あぁ、
経験とは、こういう事を言うのだ。

辛い経験?
違う、そんな軽いもんじゃない。


きっと彼は、他の人の経験し得ない
とてもたくさんの事を、重ねて来た。


その上で、あの輝いた鋭い目で、
チームを後ろから、見つめていたんだ。


彼の目には、全て見えていたんだ。



今日、青ではなく、赤に包まれて笑う彼に、心から、伝えたい言葉がある。


12年前 蓋をした心いっぱいに、
あの時言えなかった「おめでとう」が、溢れて来るんだ。


この気持ちは、貴方がくれたんだよ。



ナラ、おめでとう。


長かったね。


貴方のサッカー人生は、
なんて幸せなんだろうね。


その目が、その背中が、たくさんのことを教えてくれました。

青の想い出と共に付いた傷を、

貴方のその笑顔が、その涙が、
浄化してくれました。


これからも、もっともっと、その綺麗な瞳で、前を見つめるのでしょう。


もっと、先へ。


誰より後ろから、

誰より前を見て、

誰より先へ進んでゆくのだろう。



ありがとう。

そして、本当に、

おめでとう。




2010.11.20